辛口です。
ボランティアをしている、というと、一般的に良い事のように言われていますが、
どうなんでしょう。
手弁当で、善意で、見返りを求めずに・・・
あるいは、課金されない行政のサービス・・・
私は、自分が求めているサービスを入手したのなら、
正当な対価を払うべきだと考えます。
企業がコスト削減で効率UPし、サービスの向上をしても、
カスタマーがほどほどで無料のサービスに人が殺到し、
企業の利益に結びつかないとしたら・・・継続が出来ません。
無償のサービスは、いつ打ち切られても文句は言えません。
無償である以上、「やってやってる感」もあるでしょう。
いざという時に、関連企業が全滅していたら・・・
最終的にカスタマーは求めたサービスを入手出来るのでしょうか。
多くのカスタマーにサービスを提供する以上、企業が存続できるキャッシュは必要だし、
働いている人の満足や、経済の支えや、自尊心の為にも、給料は必要です。
もちろん、「無償」というフロントエンドで、最終的にはバックエンドを売る商売もあるし、
タダ=悪という図式は成り立たないでしょうが、
無償だから・・・という言葉で、 良い事をしているという認識を持つのは短絡的ではないでしょうか。
有償でやるべきことを、無償でやるということは、誰かの商売を妨害しているという事です。
2009年6月27日土曜日
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3 件のコメント:
私も同じように考えたこと、あります。
その結果、ボランティアをしている個人のレベルによるんじゃないかな〜と考えるようになりました。
「やってやってる感」を感じない人はボランティアできる。
(経済的および精神的な余裕があるとできると思いますが、余裕がなくてもできる人はいると思います)
良いことだからすべき、という発想は、義務になっているのでボランティアとは違う。
(発想が貧困だと感じます。こっちだと上から目線になりがちだと思うし)
なんて考えてます。
私は、まだそこまでの精神的な余裕がないので、できる範囲が狭いです。
いつかそんな余裕を持てるようになったら、何か違うことが見えてくるかもしれないな〜、なんて思います。
大変難しいことだと思いますが、全く私個人の意見です。
ボランティアはやっぱり、ボランティアをする人自身が幸せでないとできないのだと思うのです。
経済的にも精神的にも、です。
自分がお金に困っていたり、悩み事を抱えていたりして、他人に何かをすることなんてできますか?
SummeryColors さんもお書きになっていますが、上から目線、つまり「やってやっている」という気持ちになってしまうか、あるいは、「自分より不幸な人がいる」という優越感に浸る、ということになってしまうと思うのです。
ボランティアしている人たちを見ていて、その人たち自身が幸せそうに見えないのは、わたしだけでしょうか?
ボランティア自体は良いことだと私は思います。
ただ、それに参加している人たちの姿勢、がそのボランティアを成功させるか否か、なのではないでしょうかねー。
だから私がボランティアに参加するときは、自分自身をきちんと確立してからだと思っています。
それまでは、ボランティアへの参加はできないと思っています。
龍虎姫
SummeryColoesさん
コメントありがとうございます。
この記事を投稿した時には、自分の言いたい事がうまくまとまらず、ちゃんと伝わるかな?勘違いされないかな?と不安だったのですが、SummeryColoesさんのコメントを読んで、頭の中が整理されました。
ありがとうございます(^^)
姫ぇ
自分を捨てて・・というボランティアには抵抗があったのですが、姫のコメントを読んで納得です。
自分の幸せを求めたり、「ありがとう」と言われたいからと安易にボランティアというのは避けたいですね。
ボランティアをしている方に対する批判ではなく、他人を妨害しながら優越感にひたっているような事はしたくないよね、という自戒をこめて投稿しました。
お二人には、きちんと届いていて、ほっとしました。
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